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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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1957年作。
私が選ぶ、ワイダ監督の最高傑作です。

この映画は本当に凄い、何度見てもゾッとします。
これほど絶望的な映画を見たことがない。
本作は抵抗三部作の二作目にあたりますが、
私的には、この三部作は絶望三部作と呼ぶにふさわしい。

特に、『地下水道』『灰とダイヤモンド』には救いがありません。
希望と呼べるものが何一つないのです。
そして、『地下水道』は『灰とダイヤ』よりなお酷い。
地獄、としか言いようがないですね。
しかも終わりがない。

この映画は、ポーランドの歴史上、最も悲惨な部分である、
ワルシャワ蜂起を題材にしております。
それもワルシャワ蜂起の末期です。
ポーランドの国内軍は徐々にドイツ軍の重火器に追い詰められ、
また戦後を見越し、傍観を決め込んだソ連軍のせいで、
全滅を強いられることとなります。

断言しますが、普通の戦争映画を、はるかに超える悲惨さが描かれています。
それは、肉が飛び散るとか、血が吹き出るとかそういうことではない。
サム・ペキンパーの映画のような、暴力の美学なんてものは、
一切ありません。
そんなものは、甘すぎます。
本当の、戦争の死は、もっと暗く、地味で、名がないものです。

ある中隊が、出口を求め、地下水道を彷徨うのですが、
地下水道と言っても要は下水道なので、汚水にまみれてのたれ死んでいく。
ある者は発狂し、ある者は出口だと思ったら、檻になっていて出られない。
出てみたらドイツ軍に待ち伏せされているし、
出ようとしたら仕掛けられた地雷で爆死する。
またある者は、汚水から発生するガスをドイツ軍がまいた毒ガスと勘違いし、
パニックになる——
最終的に中隊長は、自分の部下達が散り散りになったのに気がつき、
いったんは地下水道を脱出するのですが、裏切った部下を殺し、
再び地下水道へ入っていく、という、なんとも言えない、苦い映画です。

地下水道の描写は、恐るべきものです。
これが20万人近くを死に至らしめ、
ワルシャワという大都市を廃墟に変えた、伝説的戦闘です。
実にポーランドの苦しみは根深いと思います。
沖縄戦に似たものを感じますが、
ポーランドの地下水道には、日本軍が持ち合わせていたある種の偽りのロマンとか、
敗者の美学とか、ヒロイスムみたいなものは、これっぽっちもない。

絶望。ただこれのみ。

その上、戦後の『灰とダイヤモンド』にいたってなお、
ポーランドに救いは訪れないことが、はっきりと描かれているのです。
フランスのレジスタンスなんて、ポーランドに比べたら子供です。

ポーランド映画はだからこそ、絶望的なものが多い。
ワイダとならぶ、
イエイジ・カワレロヴィッチ『尼僧ヨアンナ』などにも、
その色が濃く表れています。

ポーランド映画は本当に素晴らしいと思います。

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ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ監督の記念すべきデビュー作。
1954年

この映画を見たのも2回目。
抵抗3部作の第1作目にあたります。

淡々と、抑制のきいた地味な映画です。
戦闘というのは本来、地味なものだし、
レジスタンスともなると、なおさら地味なのです。

この映画からも垣間見えるのは、ポーランドの複雑な事情。
当時、レジスタンスは、コミュニスト達の組織と、
自由主義の国民軍とに二分していた。
挙党一致体制ではなかったんですね。
その二つが同じポーランド人達の組織でも対立しているから、
なおややこしい。

主人公のバルテックは、友人をドイツ兵に殺されたことや、
その貧しい生活環境から、コミュニスト達の抵抗組織に加入する。
そしてユダヤ人たちの蜂起を手助けすることになるのだけれど、
仲間の一人が殺されてしまうし、抵抗組織の幹部で、
バルテックと恋仲であったドロタもゲシュタポにあげられる。
バルテックは悲しみを押し殺し、さらなる抵抗運動へ身を投じていく——

したがってタイトルである、「世代」とは実に重い言葉になります。
おそらく、ワイダは、「世代」という単純な言葉に、
このような抵抗の世代があったからこそ今の我々がいる、ということを
言いたかったのだと私は思います。

世代、重々しい響きです。

否が応でも、受け継いでいくものがある。
私たちが存在している限り、そこに両親なるものは必ず、
どこかにいるのです。

この世代がどういう変遷を辿るかは、
まさに、抵抗3部作の『地下水道』『灰とダイヤモンド』に描かれている通り。
それは悲惨きわまりない、ポーランドの歴史を辿ることになるのです。

次回は、『地下水道』について書く予定。
私は『地下水道』が一番凄い映画だと、個人的には思っています。

『夜の大捜査線』で有名なノーマン・ジュイソン監督、1965年の映画。
主演はスティーブ・マックイーン、アン・マーグレッド、
チューズデイ・ウェルド。
音楽は巨匠、ラロ・シフリン、主題歌はレイ・チャールズ。


近頃は、マックイーン特集です。
舞台はニューオーリンズ。
スタッド・ポーカーの名手、通称シンシナティ・キッドが、
ついに、30年も名人の地位に君臨する、The manことハワードと対戦する。

息詰まる、攻防戦に、参加者は一人、また一人と減っていき、
ついに、シンシナティ・キッド対ハワードのサシの果てしない勝負が開始される。

後半はほとんど、このポーカー対決。
しかしながら、ところどころ、賭博師としての、
「結婚」という身分規定にどうしても入ることが出来ない男と女の苦悩や、
様々な思惑が交錯し、徐々にキッドは隙を生み、勝負勘が鈍り始める——

この映画を見てつくづく思うのは、
マックイーンとニューマンはよく似た俳優であるということ。
ニューマンも似たような映画に、傑作『ハスラー』があり、
ミネソタ・ファッツとのビリヤードの死闘は素晴らしかった。
それに対し、マックイーンはポーカー。
どちらも、堂々たる男の勝負です。

かっこいいんです。

そして、ラストにかかる、
レイのソウルフルな歌「シンシナティ・キッド」がまた渋い。
グッとくる。

シンプルだけどいい映画。
アン・マーグレットも非常に魅惑的で、匂い立つセクシーさ。

佳作です。

1974年。
スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、フェイ・ダナウェイ、
ウィリアム・ホールデン、フレッド・アステア、ジェニファー・ショーンズ。

キャストは、ご覧の通り、オールスターですね。
傑作パニック映画です。
今でも通用する、アクチュアリティのある映画です。
アカデミー撮影賞受賞。
キャラがかぶっている、ポール・ニューマンとマックイーンが共演した、
非常に珍しい映画。

単純に面白いです。
消防士の生き様を見せられるというか。
まず、この映画を見て想起するのは、9・11のテロでしょう。
この映画のラストシーンで、マックイーン演じるオハラハン隊長が、
いつかこんなビル火災で、1万人死ぬだろうと奇しくも予言したとおり、
9・11が起きました。
しかし、この映画におけるビル火災は、あくまで人災というか、
手抜き工事が原因ですが、9・11の火災は特殊な要因でしたね。

いずれにせよ、この映画を見ると、
高層マンションに住みたくなくなること必至。

ある人が、レビューでこの映画について、
高層ビルの映画にも関わらず、「地に足のついた映画」と語っておられますが、
おっしゃる通り、あくまでリアリスムに依拠していると思います。

アカデミー撮影賞をとっていることからわかるように、
CGなど全く使わず、とても凄いシーンを撮っています。
特撮技術も当然用いているでしょうが、
炎のシーンは手に汗握る緊張感があります。
今の映画にはない、リアルさがあります。

サンフランシスコの新名所138階建てグラスタワー。
そこで行われる落成式。
地元の名士達が、135階でパーティーを始めるが、
81階の倉庫から出火。
きっかけは、建築家であるダン(ニューマン)の言いつけに背き、
経費削減のため、安いプラグで電気系統を整備したため、
過負荷によりショートしてしまったのだ。
はじめはボヤ程度だったのが、重要な日なので、
ダンの忠告を聞かず、パーティーを続けていると、
徐々に火の勢いは増し、事態は深刻化するーー

火災の中に、様々な人間模様、人生を織り込み、
死の恐怖に我先にと、蜘蛛の糸に群れる人のように、自滅の道を突き進む。
まさに聳え立つ地獄。
しかし、炎って凄いね。

ラスト、
もうどうにもならないくらい燃えさかる炎を、
どう消すのか、一か八か決死の作戦が決行されます。
全員死ぬか、犠牲は出るが何人かの生き残りをとるか、二者択一。

少し長い映画ですが、そんなこと感じさせません。

パニック映画をみたくなったらぜひ。


1983年。ATG映画です。
松田優作、伊丹十三、由紀さおり。

この映画を見たのは二回目。
やはり面白い。
森田芳光は、いまではつまらない馬鹿監督ですが、
この作品は明らかに優れている。

家族というものが、いかに欺瞞だらけで成り立っているか、
このごくごくありふれた一般家庭、沼田家がそれを証明してくれます。
象徴的で有名なシーンである、この横一列にならんだ食事風景。
彼等は決して向きあわず、黙々と自分のことを考えて生きている。
聞こえてくるのは、雑音でしかない生活音ばかり。
「家族」というゲームをこなしているだけの、人間関係。

この地味なテーマの映画がなぜ、ここまで面白いのか。

第一にキャスティングが優れている。
松田優作の家庭教師、吉本や、
由紀さおりと伊丹十三の夫婦は、すばらしい演技です。
また、息子二人もいい。

第二にユーモアが豊富。
見ていて思わず吹き出してしまうシーンが多く、
それらはあくまでも家族の日常生活に則って、
リアリズムなんだけれども、映画として面白くするために、
デフォルメされているのです。

映画は何を撮るかではなく、いかに撮るかだ、ということを再認識させてくれます。
「家族」というゲームのルールをぶちこわし始めたのは、
闖入者である、松田優作。

ラストは、異様に倦怠感溢れる、やけにありふれた日常。
こうして今日も日が暮れるわけです。

家族というものを、面白い視点から捉えた作品。
今回見直してみたら、色々気がつくことがありました。
なんでも、少なくとも二回は、読んだり見たり書いたりしないといけないですね。


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海馬浬弧
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女性
自己紹介:
言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
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私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
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