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ようやく読み終わりました、
599ページが本文、解説を加えると600ページを超えてきます。
力作長編『贋・久坂葉子伝』

富士正晴は今ではあまり知られていない作家です。
ですが、例えば三島由紀夫の『花ざかりの森』の刊行に奔走したのは彼ですし、
島尾敏雄たちと同人誌『VIKING』を創刊したのも彼です。

力作と呼ぶにふさわしい。
なかなか読み終わらない。
想いが重い。

埴谷雄高はこの作品について、「牛刀をもって鶏を断つ」と評したとか。
つまり、久坂葉子という人間は鶏に過ぎず、
そのような、言ってみれば「小物」のために、
1000枚を超す原稿用紙をもってして書く必要があったのかという揶揄です。
私個人的には、久坂葉子という実際に存在し、21歳で自殺してしまった、
伝説的女性を描くのには牛刀をもってしないといけないと思いますが。

久坂葉子は、富士正晴が言うように、
現代女性の象徴的存在なのです。
50年以上経った今でさえそうなのです。

彼女は、彗星のごとく現れ、1952年の大晦日、
阪急六甲駅で梅田行き特急に飛び込み自殺を遂げました。
享年21歳。
本名、川崎澄子。
神戸の中でも名家中の名家、川崎重工の家庭に生まれました。
『ドミノのお告げ』では芥川賞候補にもなりました。
ある意味、恵まれすぎている彼女なのに、なぜ死なないといけなかったのか。

公私ともに関わりがあり、師匠的存在であった富士正晴は、
久坂の死後、彼女の選集を刊行しようとしますが、
彼女の両親、特に父の反対にあい、それではいっそ、
久坂のことを「贋伝記」という形で自分で書いてしまおうと思い、
『贋・久坂葉子伝』を書き始めます。

この「贋伝記」という発想、これが非常に面白いと思います。
そしてその「贋伝記」の中に自分自身も登場人物として出てくる。
これはヴァージニア・ウルフの『オーランド』の手法を借りてきたとか。

自分自身さえ登場する小説。
あまりにも本当のことを書きすぎている。
それは久坂葉子自身、死の当日書き上げた『幾度目かの最期』で、
本当のことしか書かない、というぎりぎりの心境と同じです。

とはいえ、『贋・久坂葉子伝』はそれでもなおフィクションなのです。
これは、日本でも屈指の、というか私の考えでは唯一の、
「本物の贋物」です。
マリリン・モンローが自分のことを「私は本物の贋物だ」と言っていますが、
まさにそれです。

このギリギリの久坂葉子伝は、誰も傷つけずにはおかない。
登場人物はすべて実在する人物。
もちろん名前は変えられているけれども・・・
読者さえ彼女の傷を追体験させられる。
久坂が書いた文章・手紙類はそのまま引用され、
徹底的に書き込まれる久坂葉子。
これこそ真の研究です。
本当の研究とはすなわち解釈することではなく、
経験することなのです。

三人の男の間で揺れ動き、痛めつけれられ、苦しみもだえる久坂葉子。
度重なる自殺未遂。
女太宰と言われ、『幾度目かの最期』は確かに、甘ったるい文体です。
感傷と自己否定と呪詛に陶酔している。
しかしこの陶酔はなぜか嫌ではない。
それは単純に久坂葉子が綺麗だからです。
太宰がかっこいいように。
それは大切な資格です。

さて、富士正晴は、様々な時や、幻想や現実を交錯させつつ、
ある意味かなりたくさんの手法や文体を用いて、久坂葉子に肉薄していく。

特に痛ましいのは自殺当日の大晦日で、
周りの人々は彼女の決意を読み取って、
なんとか大晦日の時間を削らそうと苦心惨憺するも、
逃げられ、自殺を許してしまう。
これほど、一分一秒を過ごすことが、生きることにつながるとは。

誰かと一緒にいること、話している間は、少なくとも死にません。
そういう時間の積み重ねの失敗。

自殺は確かに一種のタナトスというのを認識させられるし、
それに対して私たちができることは、いかにも少ない、
少ないが大きい、といったことを感じさせる力作長編。

これを読まれる方はぜひとも神戸という町を知ってから読んでください。



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興味深く拝見
贋・久坂葉子伝の感想として新鮮な感じを受けました。じっくりと読まれた様子が窺えます。
桐一葉 2012/03/08(Thu) 12:50 編集
Re:興味深く拝見
>桐一葉様

大変有難いコメントを下さり、洵にありがとうございます。
私事ですが、私自身、神戸の六甲を地元としていることもあり、
久坂さんのことがなんだか他人事に思えず、何度も再読しました。
久坂さんの文学もさることながら、富士正晴さんの『贋・久坂葉子伝』
は日本文学史上においても特異な位置を占める文学だと考えます。




海馬浬弧 2012/03/08(Thu) 22:21
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