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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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いまさらながら『きことわ』を読みました。

この本や『苦役列車』は図書館でずっと予約待ちになっているのですが、
文藝春秋の3月号であればすぐ借りられます。
しかも当該号であれば、二作品とも読めます。
なので、私は3月号を借りてきました。

以下、率直な印象を思いつくままに書きます。
私が率直な意見を書いても、
誰も痛くもかゆくもないと思うので。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一読してまず感じたのが、一体誰のための小説だろう、
一体いつの時代の小説だろう、
ということです。
舞台は葉山とか逗子で、その舞台設定からして、
もうすでに彼女の出自を表現していると言える。

どちらがいいとは決して言い切れないけれども、
西村さんの世界と比べると、あまりに対照的で、
且つ狭い。

『斜陽』の廉価版みたいな世界観で、
彼女が提示している世界に対して、まるで親近感がわかない。
悪意のある言い方をすれば、
どこぞの、のんびりと研究に専心しながら生きてきた、
ご両親も優れた文学者である、
ある処女作家の妄想に過ぎない。
どこの金持ちの話なんだと思う。

この小説にはリアリズムが欠片もない。

確かに、小説とは、
経験豊富な人ほどいい小説が書ける、ということではない。
仮にそうであるなら、年寄りのほうが、
なべて佳い小説を書けるということになるから。
しかしながらその一方で、私たちは作家の経験も含め、
作家の作品の一部として「読み」、
作品の魅力を強化する。

経験は説得力であり、あることを語る権利です。

そういう意味では、西村さんの場合というか、
太宰治を頂点とする「私小説」書きの場合、
逆にその私生活上経験したことの、
語る権利に頼りすぎている傾向はあると思う。
まあそれは今回は置いておいて。

経験豊富である必要は全くないのです。
しかしながら、核となるような、なにがしかの、
その人にとっての重要な「経験」は、私は必要だと思う。

『きことわ』は読んでいて、
朝吹さんが書かざるを得ない、その必然性を全く感じない。
どういった読者を想定しているのか、全くわからない。
どうでもいい小さなことを、ちょんちょん突いているだけで、
とても小さな悩みを、やけに大事みたいに扱っている、
はっきり言えば作家それ自体の小ささの証左以外のなにものでもない。

なるほど、
確かに私も上手いな、と思う点はところどころあります。
とりわけ、料理の描写は優れていて、
味覚に訴えかけてくるものは少なくない。

しかし、それが一体なんなのか?
選評を読んでさらにがっかりなのですが、
それがプルーストを想起するとかしないとか、
そんなのは関係ない。
失われた時間がどうとか、そんなのはどうでもいい。

作家が書いた作品である限り、
なにかしらの必然性を感じさせる作品であり、
そしてなおかつ、
現代という時代にどこか関わっている作品でないといけないと、
私は考えています。
別に、私は社会にコミットしろとか、
そういうことを言っているのでは全くない。

貴重な紙面を割いて載せるべき作品である限り、
現代の読者を想定して書け、と言っているのです。

こんなガラス玉遊戯は必要ない。
それに、
あえて彼女の表現で言う必要のないことを書いていると思う。
なぜかというに、彼女が言いたいことは、
万人が万人の言葉で既知すぎることに過ぎないからです。

いま、このことを作品として主張することに、
一体どういう意味があるのか。
一瞬という時に、様々な時間の層が折り重なって、
混じり合い…
ということに、集中できる人が一体どれほどいるのか。

私はあえて言うけれども、
こんな小説で芥川賞をとってしまった朝吹さんが、
少しかわいそうですらある。

一貫して、朝吹さんによる朝吹さんの文脈を全く出ない、
すなわち山もない谷もない、朝吹さん以外の要素が一つもない、
失敗も挫折も感じさせない、とても退屈な作品です。

確かに描写は優れていると思う。

けれども、たった一つの法則の中でしか、
生きて来られなかった彼女の単調な出自が、
残念ながら明瞭すぎるほど顕わとなっている。

お薦めできない作品でした。

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「経験は説得力であり、あることを語る権利」

という言葉に

なんか納得!
あみぴろ 2011/11/16(Wed) 01:13 編集
Re:
あみぴろさま

いつも不遜極まりない事を書いているのに、
付き合って頂きありがとうございます!
コメントありがとうございました!

そうなのです。
経験とは、何かを語る権利を得ることで、
殊に不幸な経験こそ、その不幸を語る権利を得るという、
大きな「力」である、と私は考えています。

だからこそ、仮に不幸なことが身に起こっても、
それはその不幸を語る権利を得る、ということです。
それも時には「喜々として」語る権利を。

逆に、幸福にはあまり力はないと思います。
なぜなら、人は不幸にこそ興味があり、
あくどい言い方をすれば「集客力」があるからです。
幸福は、それ自体を主張する必要のないこと、
と私は考えています。

このへんは、『苦役列車』を読んだあとにでも
書こうと思います。

追伸

先日は、私の自己管理の甘さで、
お会いする機会を逃してしまいごめんなさい。
個展にも必ず顔出しますので、
あみぴろさまもくれぐれもご自愛下さいね。
海馬浬弧 2011/11/16(Wed) 10:05
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言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
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