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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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1973年、ジャン=ルイ・トランティニャン、ロバート・ライアン
レア・マッサリ、ティサ・ファロー。
監督はルネ・クレマン。
脚本はジャプリソ。

珍しくカナダを舞台に繰り広げられる、
孤独なアウトロー達のお話。

以前、ジャプリソ映画の特徴を、シシリアンなどでお話しましたが、
これも同様に、雑な話です。
かなり無茶苦茶だし、支離滅裂。
それを無理矢理に、男の友情、男の馬鹿さでまとめようとする。
が、もちろんまとまらない。

ジャプリソには『昭和残侠伝』等を見て、形式というものを学んで欲しい。
話が無茶苦茶すぎる。

特にいただけないのが、ジャン=ルイ・トランティニャンの役。
彼がロマ人たちに追われている理由が、全然理解できない。
これでは彼はアウトローではないじゃないか。
それに、なんでラスト近く、ナイフでただ刺されているだけなのか。
とどめを刺されないのか。
ロマ人たちの設定があまりにも曖昧だし、適当すぎる。

第一、邦題が、
全くなんでこんな題になったのか、意味不明。
原題と全然違うし。

星、一つですね。


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1971年、ルネ・クレマン『パリは霧にぬれて』

私の大好きな女優、フェイ・ダナウェイが出ています。
魅力的です。
それに対し、相手役はフランク・ランジェラ。
この変わったキャスティングはなんでしょうか。
フランク・ランジェラは最近まで、
ウーピー・ゴールドバーグと同棲していた、実力派俳優です。

本作の原題はLa maison sous les arbres
直訳すると、木々の下にある家。
それに対し、邦題は、全編ソフトフォーカスで撮られていることを理由に、
パリは霧にぬれて、となっています。

内容は2時間ドラマ。
特にメッセージ性や主張など、一切ありません。
野心的な作品でもなんでもない。
単なる2時間サスペンス。
なので、そんなに面白くないし、残る映画ではありません。

が、フェイ・ダナウェイは魅力的です。
彼女の代表作は、間違い無く『ボニー&クライド』ですが、
こういう適当な作品でも綺麗ですね。セクシーです。
ほんと、フェイ・ダナウェイはアメリカ人だなあとつくづく思います。

フェイ・ダナウェイだけでも見る価値あり。

アンリ・ヴェルヌイユ監督。
原題はMélodie en sous-sol

この映画も3〜4度目でしょうか。
何度見ても面白い。
ルイ・マル監督の傑作フィルム・ノワール『死刑台のエレベーター』
と並ぶ名作です。

この映画はいくつかの点で『死刑台のエレベーター』に似ています。
まず、エレベーターが重要なものとして登場すること。
次にラストシーンの構造が似ていること。
(これから見る方もいらっしゃるかと思うので、
具体的に何が似ているとは書きません。)
そして、ジャズが非常に効果的に使われていること。
などです。

『死刑台のエレベーター』はモーリス・ロネ、ジャンヌ・モローですが、
『地下室のメロディー』はジャン・ギャバンにアラン・ドロン。

ジャン・ギャバンがやはりいい。
本当に偉大ですね、彼は。
彼の前ではドロンも小物です。若造です。駆け出しです。
なんか、歳とってからは小沢一郎に似てるし。

日本のヤクザ映画よろしく、出だしは、
ギャバンがシャバに出てくるところです。
そして物語は始まるのですが、ギャバンのモノローグが、
なんとも言えず、苦虫を百匹くらい噛みつぶした感じで、渋いんですね。

そして、アラン・ドロンと組んで、
最後の大仕事にカンヌで取りかかる。

有名なラストシーンですが、何度見ても素晴らしい。
ギャバンも、ドロンも、もの凄くやりきれない表情をする。
本当に、ゾクゾクしますね。
最後の緊張感。
あのシーンを見るとテンションが上がります。

もう、なすすべなし、ってこんな表情なんですね。
これぞ本当の、万事休す、ギャバンとドロンの掛け合いがたまらない、
フィルム・ノワール。

フィルム・ノワール研究家の私としましてもおすすめです。

1969年。ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ

フランスが誇る3人のフィルム・ノワール俳優の共演。
やはり、ギャバンがいると、それだけで話が出来ます。
ギャバンの前では、ドロンもまだまだ。
リノ・ヴァンチュラも相変わらずいい味出しているし、
Castingはなかなかいい仕事をしています。

しかし、残念なのはストーリー。
脚本は、『シンデレラの罠』などで著名な推理小説家のセバスチャン・ジャプリソ。
こいつが、いただけない。
雑な話を作ってるんですね。
細部を見れば、おかしいなというか、必然性を感じないシーンが多いのですが、
ジャプリソはそれを雄図でごまかそうとする。
それがジャプリソのパターンなんですね。

さて、この映画の壮挙とは、
ボルケーゼ美術館にて行われている、フランスの宝飾展に展示されている、
ヴァンドーム広場にある、通称Grand cinq系の宝石を盗むこと。
映像に映りますが、例えば、Chaumet, Mauboussin, Boucheronなど。
しかし、もちろん、警備はもの凄く厳しい。
それを、大胆きわまりない作戦で強奪する——。
それは成功するのですが、あまりにも小さな事件で、
すべてが気泡へと帰してしまう。

このストーリー展開はよくある展開ですが、細部が雑。
例えば、最後の方で、アラン・ドロン演じるサルテを迎えにいくかなあ、とか。
自分も捕まるのに、彼を単純に私怨で襲うかな〜とか。

こういった類のものでは、『地下室のメロディー』が最も優れています。
やはり、『地下室のメロディー』もギャバンとアラン・ドロン。
監督はヴェルヌイユ。

現代は、面白いフィルム・ノワールが全くありませんが、
それはひとえに、ジャン・ギャバンやアラン・ドロンや、リノのような、
俳優がいないことにあるでしょう。

それは日本におけるヤクザ映画、時代劇映画の衰退と同じだと思います。
いずれも、それに適した、大物的な俳優がいないのが大きな原因です。

小物映画が多い理由、それは小物俳優、
そして小物監督しかいないからだと痛感しています。



ギリシャの巨匠、テオ・アンゲロプロス監督の作品。
1998年カンヌ映画祭、パルム・ドール受賞。

テオ・アンゲロプロスは、傑作『旅芸人の記録』がある、
ギリシャが生んだ名監督です。

とりわけ、長回し、同一シークエンスでの時制の変化など、
少し複雑で難解な手法を使うのが得意。

特に本作は、現在・過去が長回しのシーン内で、どんどん入れ替わる。
しかし、私的には、その入れ替わりがほとんど活きていないと思います。
そもそも、ギリシャの19世紀の詩人、ソロモスを知っていないと、
よくわからない映画です。
ギリシャの複雑な歴史も知っていないといけない。

つまりこの映画は、日本人である私には、少し退屈でした。
それに、詩人である主人公と少年のふれあい、みたいなのは、
とてもありがちで、安易なテーマとも言える。
それに、説教臭いし、なんていうか、自己満足的な映画です。
わざと、少しわけがわからなく作ってますが、
詩人が探しているものは、実はなんてことないものなのではないかと思うのです。

映像が美しいだけで、それとて、
別に珍しいことではないと思う。

正直言って、そんなに面白くない映画でした。
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海馬浬弧
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自己紹介:
言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
あらゆることに関するレビューログ。
私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
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