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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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天才、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの珠玉の傑作。
『ドビュッシー前奏曲集』

ミケランジェリのファンは熱烈なファンが多い。
リヒテルはダイナミックで正統派の巨匠であるなら、
ミケランジェリはスタティックで極北のピアニストであるからです。

普通の完璧主義どころの騒ぎではなく、
極限までいった完璧主義者です。
とりわけ鍵盤を押す際に生ずるわずかな雑音を嫌い、
出来る限りその雑音を排そうと苦心したため、
鍵盤に常に指が触れているような状態で、独特のアゴーギグを生み出す。

ドビュッシーを聴けばそれがよくわかる。
殊に『帆』や『アナカプリの丘』、『雪の上の足跡』は、
他のピアニストの追随を許さない出来。

イタリア人ピアニストとしてはブゾーニが思い起こされますが、
ブゾーニは作曲でも才能を示したのに対し、
ミケランジェリはレジスタンスの闘志ですらあった。

ピアニストの極北。
このアルバムを聴くと、ドビュッシーの印象がかわること間違い無し。


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今回は私としてはかなりめずらしいですが、
Jpopについて、それも第三回CD屋大賞を受賞し、
徐々にその人気を高めているバンド、andymoriの『1984』という曲について。
個人的に、このバンドのボーカルである小山田君を非常に応援しているので。

以下、ものすごく個人的な感想を書きます。

聞いてまずびっくり。
彼がこんなに、ナイーブな声をしていたとは。
高石ともやが好きだというのは聞いたことがあり、
よく覚えていたのですが、確かにその影響は濃い。
70年代後半のフォークロックのような。

でも、もちろん現代。
草食系を地で行った外見、ファッションやPV。
歌詞も、物凄く青臭く、こっぱずかしい。

このゆるい感じ。
とても、人科なんですよ。
人科だった人ならすごくわかると思う。

人科って何?って思われた方、「人科」でググってみて下さい。
一番トップのそれが、それです。


小山田君の、気持ちのこもった歌詞。
というか、彼の生まれた年「1984」を題名にしているのだから、
気持ちがこもらないはずがない。

好き嫌いはぬきにして、この曲は名曲です。

もちろん、「1984」はandymori、小山田君の処女作ではない。
しかし、得てして、ミュージシャンも作家も、
処女作が思い入れの強い自伝的作品であればあるだけ、
処女作を越えるものを作ることが難しくなるのです。

バンプの『天体観測』、くるりの『ばらの花』
これらも処女作ではない。
でも彼等の処女作的な作品の頂点であるといえると思う。
そして、思い返してみると、
やはり彼等もこの曲以上のものが作れていない。
今ではもう余生のような制作活動。
ミスチル「Over」だってそうだし。
椎名林檎「歌舞伎町の女王」すら。

かつてのシャ乱Qですら、ある意味「18ヶ月」を越える作品は作れなかった。
「シングルベッド」(処女作ではないが処女作的作品)以上のものはなかった。

私が言う処女作的作品とは自伝的作品ということです。
それも極私的作品です。

新藤兼人が「誰でも一つはいい物語が書ける」という意味は、
まさにそういう意味においてなのです。
誰だって、様々な人生を歩んでいるから、少なくとも一つは、
自分だけの物語が書ける、ということ。
だから、自伝的なものとか私小説って、なにかぐっときてしまう。
なにかある、と思ってしまう。

話をさらに飛躍させると、

だから『バクマン』の秋人と最高は強い。
計算尽くで考え出した物語(もちろん100%計算ではない)のほうが、
耐久力に優れるし、枯渇しない。

自伝的な思い入れがあまりない作品で、
一気にメジャーになるほうが、後々楽かもしれない、と私は思う。
後から、その自伝的作品を使えばいい。

映画監督の世界はどうでしょう。
黒澤明、小津、溝口。
皆、自伝的作品ではなく、うまく別の形に昇華させていますよね。
別の形式をつかんでいる。
自伝的要素はあるのだけれど、ほとんどその原型が残らないほどにし、
映画として成立させている。


「処女」作は切り札、まさに乾坤一擲。


Andymori.
私がいつもださいと思い、うんざりする、くるり、
とかの要素をたぶんに含んでいるし、
センチメンタルな草食系でもある。
オザケンすら思い起こさせる。

でも小山田君を応援したいと思います。

「処女作にして最高傑作」とならぬよう。

処女作を越えることができるか。




1972年。

コルトレーン・カルテットで名をはせ、
その後、ブルーノートと契約し、リーダー・アルバムをいくつか発表。
71年後半にマイルストーンに移籍し、レギュラー・カルテットを編成。
そして、本作である『サハラ』を制作。

コルトレーン・カルテットでも、素晴らしい演奏を披露していたマッコイ。
そもそも、あまりにもカリスマであり、
神格化されたコルトレーンと仕事していたので、
コルトレーンにばかりスポットはあたっていましたが、
マッコイも常に好演はしていました。

コルトレーンの深いスピリチュアルな探求を受け継いだのが、
本作である『サハラ』。

ジャケットでマッコイが持っているのは、日本の箏。
『サハラ』の中の、"Valley of life"は箏による怪演。
ジャズに箏を持ち込んで、まさかこれほど素晴らしい演奏になるとは。

もちろん、それだけではない。
標題作、Saharaもかっこいい。


必聴盤。


加古隆さん、1983年の作品。

加古さんは、私の世代では、
NHKの『映像の世紀』の「パリは燃えているか」という曲が有名だと思います。
(Youtubeあたりで簡単に聞けます)
しかし、そもそも加古さんは、
フランス政府給付金で留学した、れっきとしたブルシエなんですね。
そして、メシアンに学び、フリージャズへと展開する。

加古隆さんの作品でも、屈指の傑作と名高い、
最初期のフリージャズ作品『パラドックス』はまだ手に入れられていない。

そこで、ピアノ・ソロ作品で、こちらも傑作と名高い『夜明け』について。

このアルバムも持っている人はかなり少ない幻の作品です。
ラストの、「イマージュ」という曲は、
明らかにキースのソロコンサートの影響を感じますが非常に好印象。

「夜明け」「ヴァレンシア」「喪失の虹」も、
メランコリックな感じでいいです。
ちなみに「ヴァレンシア」は富樫雅彦さんが、加古さんに捧げた曲です。

次はマッコイ・タイナーの必聴盤「サハラ」か、
変化を続ける真の巨人マイルスの、
ロックと融合し、エレクトロニカの先駆となった、
「ビッチェズ・ブリュー」について書きます。




コルトレーン・カルテットの最高傑作と誉れ高い作品。
もちろん、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、
ジミー・ギャリソンという最高の編成。

コルトレーンが限りなくフリージャズに近づき、
その後、フリージャズへと展開していく、一歩前の作品。

フリーに展開していくと、才気溢れるピアニスト、
マッコイ・タイナーは離れて行ってしまうので、
私はコルトレーンのここまでが好きです。


私は、なんでもそうですが、形を失ってしまうとあまり好きではありません。
ぎりぎりのところで形を保っている、その緊張感を持ったものが、
一番好きです。Close to the edgeみたいな雰囲気。

そういう意味で、『至上の愛』は、コルトレーンのテナーが、
限界まで近づいた作品です。
『アセンション』ではもうわけがわからない。

中期の傑作、ドルフィーを加えた、
『ライブ・アト・ザ・ヴィレッジバンガード』は最高です。
特に、のっけから"Spiritual"や、スタンダードナンバーの、
"Softly, As In A Morning Sunrise"は秀逸。

コルトレーンは神格化されておりますが、確かに素晴らしいです。


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プロフィール
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海馬浬弧
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女性
自己紹介:
言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
あらゆることに関するレビューログ。
私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
リンクは才能豊かな知人の方々なので、ぜひ。
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