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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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原発映画。


ジャック・レモンにジェーン・フォンダ、
そしてマイケル・ダグラス。
アカデミーやパルムドールにもノミネートされた名作です。
ジャック・レモンは喜劇以外にこういう役も出来る。


さて、本作は1979年3月16日に公開されたのですが、
実にその12日後の3月28日、スリーマイル島で事故が起こる。
そのこともあり映画は大ヒット。

人間が想像できることって、結構実際に起こることですよね。

あの時こう思っていたのが現実になった、など、
実は「こう思う」という直観にも似た感覚は、
自分も気がつかない小さな兆候から、導き出した反応なのです。
直観というのは、決して偶然の思いつきではなく、
自身のこれまでの経験から総合して導き出された一つの答え。
ただし、その「答え」にいたるまでの明確なプロセスが見えないため、
そのような「答え」を我々は直観と呼ぶし、
だからこそ羽生さんは「直観の7割は正しい」というのだと思う。

前にこのレビューログでも取り上げました、
ゴルゴ13シリーズの『二万五千年の荒野』(1984)は、
まるで福島の原発事故を予期していたかのような話。
綿密な調査・経験に基づく、強靱かつ論理的な想像力があれば、
あのような話を書くことができる。


閑話休題。


『チャイナ・シンドローム』とは、
アメリカでメルトダウンが起きた場合、
溶けた核燃料は大地を突き抜け、裏側の中国まで行く、
というジョークから出来た言葉。
(実際のアメリカの裏側は中国ではない)

アメリカのとある原発が、事故に見舞われるのだが、
電力会社の人々は皆その事実を隠そうとする。
なぜなら新たな原発を作るなど、多くの利権が絡むため、
事故があったということを公表し、原発をしっかりと検査するというのは、
電力会社や建築会社にとって非常に不都合なのだ。
そんな危うい状態のまま、原発を再稼働させようとする。

しかし、その原発で長年働き、
原発をこよなく愛しているからこそ、
危ないものは止めないといけないと考えるジャック。

彼は制御室に立てこもり、ふとしたことで知り合った、
キャスターのキンバリー(ジェーン・フォンダ)に頼み、
立てこもった制御室から中継をつなぎ、
この原発の危険性を訴えかけようとするのだが……


あとは映画をご覧下さい。

非常にシリアスで、我々にとってはタイムリーな映画です。

この映画の主演男優であるジャック・レモン演じる
原発の技師は、決して原発反対派ではない。
彼は原発のおかげで生活が出来、働いてきた人物です。
でもだからこそ、
危ない時は正直に危ないと言わないといけないという考えと、
会社員としての強烈なジレンマに立たされる。
それはキャスターのキンバリーも同じこと。


そしてたぶん、我々もあの震災後、
度々様々なジレンマに悩み、苦しんでいるのではないでしょうか?
私は、いくつかの業界の知人達から、

あの震災時、ないしは震災後の上司や経営者の振る舞いは最悪で、
物凄く失望した。



という声を聞きましたし、かく言う私もそうです。
そして不幸にも、この発言に対する逆の回答を得たことがない。

あの震災以降、様々なジレンマに、
現在も悩み、苦しむことになっていると思います。
私もあの震災がきっかけで(といってもいいと思う)、
二度も職を変えることになってしまいました。
(半分以上、自分の経験不足のためもあります)
その他、非常にたくさんの事件がありました。

今月、先月だけで受けた面接は15回。
職務経歴書を何度ブラッシュアップし、
現在の最終形態にしたことか。
SPI2の対策、GAB形式の問題集、フェルミ推定対策…


阪神大震災の時、私は神戸市灘区で小6だった。
でも今回の震災の時、東京は被災地ではないけれど、
あの時以上に色々な影響を被ったと思います。


今年は逃げずに、自分は自分なりの道を追求したと思うので、
これからも、もっと謙虚に誠実に、努力を続けようと思います。




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英語版しか見あたらなかったので。



ポーランドの巨匠と言えば、
アンジェイ・ワイダと双璧をなすイェジー・カワレロヴィッチ監督がいる。
いずれもポーランドの苦闘の歴史を深く反映する作風だが、
ワイダのほうがより知名度が高いと思われる。

ワイダには抵抗三部作と言われる、
『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』
と呼ばれる著名な作品があり、すでにこのレビューでも取り上げた。
どれをとっても絶望的な作品であり、微塵の救いもない。

それに対し、カワレロヴィッチは代表的作品として、
日本語で見られるものには
『尼僧ヨアンナ』『影』そして本作『夜行列車』がある。
ワイダとその筆致というか、映致は似ているけれど、
全く違うテーマを通過しつつ、
やはり凄絶な暗さを宿している作品です。


また少しポーランド映画について語りましょう。

私は、ポーランド映画は殊に好きで、
その重要性をことあるごとに、知人に語ってきました。
他国に類を見ない、その晦冥さ。
その暗さは一体どこからやってくるのか?
少しでも歴史を勉強すれば、すぐにわかります。
度重なる裏切りを背負ってきた国。
失望に次ぐ失望。

ワイダとかカワレロヴィッチ、アンジェイ・ムンク、
ザヌッシの次の世代に、
ポランスキーとかキシェロフスキを輩出したポーランド映画界。
スコリモフスキーもいる。

ポランスキーはかつては『水の中のナイフ』とかで、
ポーランド色の濃い映画を撮っていたし、
ワイダの傑作『夜の終わりに』では俳優としても出ている。


さて、『夜行列車』について。
実に印象的な音楽で始まる映画。
アーチー・ショウの「Moonray」をポーランドのジャズシンガー
Wanda Warskaがスキャットでカヴァー。
まず出だしの音楽からして、この映画が普通とは異なっているのが
すぐに分かる。
いい映画はつかみで大抵分かる。

内容は単に夜行列車に乗り合わせた男女の話。
ただ一夜だけの話。
にもかかわらず、この含蓄の深さ。
洗練されたスタイル。
ポーランド人の辿った暗い道程が、
あらゆるところに見え隠れする。
心理的な描写に抜きんでた映画です。

カワレロヴィッチは、ワイダと違い、
心理描写が非常に優れており、
またスタイリッシュでもある。
彼の一番有名な作品『尼僧ヨアンナ』もそうです。


そういえば、ポーランドに近い国である、
ベルイマンの映画もひどく暗く、やはり洗練されていた。
というのをなんとなく思い出しました。
ベルイマンの方が救いはある気がするけれど。


これっぽちも救いのない映画を見たいときは、
ポーランド映画に限ります。
絶望に裏打ちされたポーランド映画。
感情は乾ききっている。
東ヨーロッパのジェームズ・ディーンと呼ばれた、
ズビグニエフ・チブルフスキーも『夜行列車』
に出ています。

ぜひ、ここ2年以内に行きたい国。
行って、やはり収容所も見ておかないといけないと思います。


1994年
監督:金子修介
佐伯日菜子、佐野史郎、風吹ジュン、高橋ひとみ。

佳作。
笑えるし、泣ける。
原作は巨匠、大島弓子さんの少女漫画。
花の24年組の一人です。


BSの山田洋次100選で、
なんとなく気になったから大分前に録っていた。
そして、ようやく見る機会を得た。

この映画を見ていると、非常に考えさせられる。
しかし、この映画の良さを分かるためには、
きっと高校生や大学生くらいだとまだ全貌は見えてこない。

佐伯日菜子の視点、
佐野史郎の視点、
風吹ジュンの視点、
高橋ひとみの視点、


これらすべてを持つ、大人びた子供になったとき、
この映画の話の良さがわかると思います。
そして幸い、現在の私には上記四つの視点がある。
偶然か皮肉か、まさに今、
この視点を持つことになった。


自己欺瞞は当たり前の話。
私自身、自己欺瞞は結構上手なほうだと自負している。
そして、たぶんこれからもそうしていくことは、
生きていく限り必ずあり、やっていくつもりだし、
別に嫌なことではない。
しかし、ある時、完全にぷっつり切れてしまった自分がいた。
「なにやってんだろう」と。
毎日延々と続く、訳の分からない時間の中。
3時間エンドレス説教の中で、
私の欺瞞もポッキリと音を立てて折れたのだ。


ポキッ


佐野史郎がひたすら謙虚な姿勢なのが、
なんだかとても身に沁みる。
彼が言わんとしていたことは、
自ずから彼の周囲を見ればわかる。
佐伯日菜子が言わんとしていたことも、
彼女の周囲を見ればわかる。

その人の周囲を見ればいい。
そしてその中にいるときのその人を見ればいい。
私たちは誰が何を考えているか、
もう少し考えないといけないと思う。


経験は何かを語る権利を得る。
したがって、無駄な経験というものはない。
だから経験には良い悪いはない。
けれども、自分にとって古い経験、新しい経験はある。
おなじことを繰り返さず、
この新しい経験を活かして、
佐野史郎や佐伯日菜子のように、邁進したいと思います。


幸福は言葉を持たないけれど、不幸は言葉と仲が良い。
徹底的に、不幸の幸福を突き進んでみようと思います。






コの映画を今まで見たことがなかったことを、
意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そもそも、アルモドバル映画を見たことがなかったのです。

ペドロ・アルモドバル。
スペイン映画界の巨匠。
初めて見ましたが、とても「激しい」映画ですね。

スペイン語ってすごく早口。
たたみかけるような会話の連続。
興味深いのは、ラブシーンも言葉だらけということ。
思わず、笑ってしまうシーンも多数。
真面目なのか冗談なのか、よくわからないシーンも多いけれど、
でもきっと、真面目なんでしょうね、あれはあれで。

そして、ヒロインの女性が、
まず日本映画では90%ないタイプ。
今村昌平の初期作品のヒロインみたいなタイプですね。
吉村実子さんや春川ますみ、そして左幸子。
つまり、おばちゃんなんですね。

かてて加えて、性的な関係はとてもカオスなお話。
でも、最近思うのだけれど、
それもそんなに珍しいことではない。
お手伝いのフアナの経験は、見た目も関係している。

個人的に最も面白いと思ったのは、
映画内で重要な位置を占める過激なドキュメンタリー番組「頬傷」

アンドレアという、元精神分析医の女性ジャーナリストが、
様々な事件に直撃で取材し、それを実際にその場の映像と、
独特の衣装と語り口で暴いていくという、
確固たる信念を持っていない限りやらないような危険極まりない番組。
衣装は全部ゴルチエ。
この映画のジャケットが、まさに「頬傷」中のアンドレア。
一目見て、ゴルチエらしい、とても出来の佳い作品とわかる。

こういう番組は、実際にスペインで近いものがあるのでしょうか。。。
調べてもわかりませんでした。

さて、映画は様々な紆余曲折を経ますが、要はサスペンス映画。

終わりも、あくまでしたたかな、そしてあっけらかんとした、
スペイン映画です。

スペインも悪くないですね。

1966

本作『テルレスの青春』で長編デビュー。
『ブリキの太鼓』ではパルムドール、アカデミー外国語映画賞受賞。
言わずと知れたドイツを代表する映画監督。

いわゆる、「ダス・ノイエ・キノ」の監督の一人として登場。
パリの高等映画学院に学び、ルイ・マルやらアラン・レネといった、
ヌーベル・ヴァーグの監督の助監督を経験。

・・・・・・・・・・・・・・・

『テルレスの青春』を見たのは二回目です。
とても印象的な映画なので、
大体おおまかな内容は記憶していたのですが、
急に再び見たくなった。
たぶん東電OLを読んでいたせいだと思います。

ごくありふれた人間が、とても卑屈な奴隷に変貌したり、
残酷非道な怪物になりうる。
そういう精神の飛躍をとてもうまく描き出している映画。


前見たときは気がつかなかったけれど、
これは、原作がムージルだったんですね。
さすがムージルと思いました。

また、ナチスを生んだドイツにとって、
このテーマは殊に重要性を持つでしょう。

人間は、ごくありふれた人でも小さなきっかけで、
怪物にもなりうるし奴隷にもなりうる。
なんでもなしうるということ。
テルレスはその視点から、傍観者として事の次第を見つめる。

とても暗い青春。
否、本来、青春とは必ず鬱勃としたエネルギーを抱え、
暗いものなのです。

、、、個人的にはこういう男子校ものは、
ちょっと違うけれど日本にもある主題かな、と思います。
想起したのは堀辰雄『燃ゆる頬』
こういう話には、クラスの権力持ちで且つ美男。
加えて悪魔的な性格の男が必ず出てきて、
少しそっち系の要素が出てきて…みたいな。
ある意味では三島の『春の雪』も少し思い出しました。


いずれにせよ、とても興味深く面白い映画。
シュレンドフの佳作。
私は『ブリキの太鼓』より好きです。
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プロフィール
HN:
海馬浬弧
性別:
女性
自己紹介:
言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
あらゆることに関するレビューログ。
私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
リンクは才能豊かな知人の方々なので、ぜひ。
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