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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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1962年。カンヌ映画祭審査員特別賞受賞。
この映画を見たのは二回目。


小林正樹監督と言えば、まずあの『人間の条件』を思い浮かべる。
全6部にも及び、日本映画史上、最も長い作品である。9時間31分。
そして、やはりユダヤ人大虐殺を描いた、
クロード・ランズマンのドキュメンタリー『ショアー』も9時間30分。
いずれも9時間半でも足らないくらいでしょうが。


そんな小林正樹監督がやはり仲代達矢と組んで制作した傑作映画『切腹』
日本映画史上でも上位に位置する傑作です。
脇も素晴らしい。
三國連太郎、頗る格好いい丹波哲郎。そして美しい岩下志麻。

武士社会における、うわべだけの欺瞞と残酷さに対し、
「切腹」というものを通して迫っていく。
仲代達矢が実にいい。
堂々たる立ち居振る舞い。
そして徐々に盛り上がっていく物語り。
基本をきっちり押さえた構成。簡素な美術。
ドスの聞いた語り口。
そして殺陣。

エンターテイメント性と社会性と、
人生の不如意さと、すべてを描いた純然たる良質邦画です。

繰り返し見ても面白い。
武士道に対する決定的なアンチテーゼ。
武満徹の音楽も抜群に優れている。

ぜひ。



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原題は Entre les murs
直訳すると「壁の内側」とでもいったところでしょうか。


2008年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作品。
見るのが遅すぎたくらいだ。とても面白い。

教師のフランソワを、この作品の原作者である
元教師のフランソワ・ベゴドーが怪演。
彼の実体験に基づき書いた話を映画化したもの。

同年代の日本人の学生達にもぜひ見てもらいたい作品です。
パリ20区にある中学校の、とあるクラスをリアルに
描き出した作品です。
中学校といっても、日本の6・3・3制とは大分異なるので、
このクラスの学生たちの年齢は全員同じなわけではないと思う。
13〜14歳の子供たちの話。

先に一つ残念な点をあげるとすれば、
みんな演技が別格に上手なのだが、
バカンス前のクンバの発言は、
一気にフィクションであるということを気づかせる言葉だった。
あのような台詞は、最後に全く必要のない台詞です。
あそこだけ明らかにおかしい。

しかし、それ以外は全く気になる点はない。
上記の点以外は骨の髄までドキュメンタリータッチです。
日本人の同年代の子たちが見たら、
自分の世界の狭さに愕然とすることでしょう。
だから見て欲しい。
こういう人種の坩堝的なクラスも
ちょっとパリとかNYとかいけばいくらでもあるということを。

日本人からすると新鮮なことも多々ある。
それは、みんな誰かを恐れないということにつきると思う。
何かを発言するとき、恥ずかしがったりすることはするけれど、
自分がこう思っているということを、
周りの反応をあまり気にせず、皆まずは発言してみる。
それによって誰かとの差異が際立ち、ぶつかるんだけど、
実はそんなのは当たり前で、誰もぶつかることを恐れていないし、
それほど億劫に思っていない。
だって、それは当たり前のことなのだ。
自分以外の他人は、やっぱり他人だという理解は当たり前です。
彼らはそれをわかっているし、
だからといって陰湿な苛めに発展しない。
その点はまるで大人だ。
嫌なことも案外ケロッと忘れて、切り替える。

それにしても、
教師フランソワと生徒スレイマンのぶつかりは、
日本人である私が見ると、大分後味悪いものに思うのだけど、
フランス人からすると違うのだろうか。
彼の退学は明らかに、フランソワが自分の不手際を、
いやらしい生徒代表二名によって理不尽に突かれたことにより生じた、
とても不幸な結末に思う。

スレイマンが問題児なのは確かで、
フランソワが生徒代表二名にキレた理由もわかる。
だけど、あそこは彼こそがこらえるべきところだったのだ。
フランス人らしい、話をうやむやにする切り返しがあったが、
あの点は私も生徒側につきたいと思う。
生徒代表の二名は確かにムカつく感じなのだが……。

いずれにせよ、面白い映画であった。






スタッフはたった13人。制作費は500万。
それでもこれだけの映画を撮ることができる。

この映画も見るのは三回目くらいです。

舞台は広島県三原市の宿祢島。

瀬戸内海に浮かぶ、とても小さな島を舞台に、
そこで暮らす一家の物語を林光の音楽で紡ぎ出す。
台詞は一切無い。
かけ声とか祭り囃子とか生活音のみ。

この映画を見ると、
映画は台詞を必要としないことがよくわかる。
私も、本来、映画とは台詞を必要としないもの、
と考えています。
佳き映画であればあるほど、台詞はいらない、
と考えている。

だから、フランス映画にありがちな台詞劇のようなものや
ウディ・アレンの映画のように小うるさい台詞の連続は、
私はあまり好みではない。

円谷幸吉の遺書が明朝体になった時にこそ
様々な感情がにじみ出てきたように、
映画も台詞をなくしてみると、逆に、
言いしれぬ感情が観るものにも伝わってくるものです。

この島の生活は本当に楽ではない。
このような生活に憧れると軽々しく言ってはいけない。
確かに風光明媚で、島から見る瀬戸内の景色は
とても綺麗です。
しかし、この容赦ない生活と自然は、
考えさせられるものがある。


人間は得てして、今の自分の境遇と、
様々なものを比較してしまう。
私もその例に漏れず、この映画を見ながら
現在の自分が置かれている状況を考えていました。


本当に、人生は簡単じゃない。
その上、刻々と状況は変化する。
私は変化を基本的には良く捉えているが、
この映画内では悲劇的方向に向かう。
もちろん、そのような変化もありうる
そんな中で、我慢強く、
そしてしっかりと大切なものを守り、
生きていくことは
辛く、厳しい道程であり、
世の中の自分以外の多くの人も
複雑な人生を生きていると思うと、

ただただ頭が下がります。

この映画からも以上のことを再確認しました。


日本映画として初めてパルムドールを受賞した作品。
第七回カンヌ映画祭、パルムドール受賞作。
その色彩美が絶賛されたという。
アカデミー賞でも、
本作を手がけた和田三造氏が衣装デザイン賞を受賞。

驚くべきはその時のカンヌの審査員たち。
ジャン・コクトー
ルイス・ブニュエル
アンドレ・バザン(映画理論の大家)
などを含む。

主役は京マチ子と長谷川一夫。
ストーリーは平安時代の横恋慕。
原作は菊池寛『袈裟の良人』

ただ、正直言って、そんなに面白い話ではない。
そして、黒澤映画でもたまにあることだけど、
何を言っているのかわからないシーンが多すぎるのだ。
もちろん大体の話は理解できる。
しかし、変な節回しと音量のせいで、
台詞をちゃんと聞き取れないし、
とても聞き取りづらい。

この映画は今からするとそんなに面白い話ではない。
確かに衣装には工夫を凝らしているが、
それ以外で見るべきものはあまりない。

京マチ子は美しいが、
彼女演じる袈裟の心が全く理解出来ない。
現代人の私からすると、
彼女の出した答えが、
とてもお粗末なものに思えてならない。
もっと他に解決策はあったはずなのに。

衣笠監督といえば、
もっと優れた作品に伝説の純粋映画『狂った一頁』がある。
学生時代に、岩本憲児先生の授業に出て、
先生がフィルムセンターでこの映画を上映すると聞いた時、
どれほど喜んだことか。
脚本には川端康成などが関わる、新感覚派映画である。

『地獄門』より『狂った一頁』をぜひ。





1968年。新藤兼人監督。佐藤慶。中村喜右衛門。もちろん乙羽信子。太地喜和子


こないだ、NHKで太地喜和子のドキュメンタリーを見ていたのです。
タイトルは「サヨナラ、幸せは私には必要ではない」

太地喜和子は伝説的女優で最期は事故死。
前々から詳しく知りたかった女優さんなので、注目していました。
特に三国連太郎との恋は有名です。
そしてタイトルのこの言葉がグッとくるのです。

自分の追求すべき人生というものが
この頃ようやく見えかかってきた私にとって、
この言葉は非常に重要な響きをもって訴えかけてきました。

この言葉は私の様々な琴線に触れる。

例えば、大分前に雑誌、婦人公論で
いつも大石静さんのエッセーが載るのですが、
そこで、自分は作品を生んできたから、
子供はいないけど満足している、
というような趣旨の事を述べておられたこととも
私の中では関わりを持つ。
(記憶なので、若干歪めているかもしれませんが…)

「幸せ」とは複雑かつ単純なものです。
その上、人によって意味が異なる。
しかし、太地さんの言う「幸せ」が何を指しているか、
おおまかなところは私にもわかる気がします。
私自身も、太地さんの言う「幸せ」を捨てていた。
それは単純に個人の志向の問題だと思うのです。

その「幸せ」を捨てたからといって
不幸なわけでは決してない。
不幸の幸福ということもあるし、別の幸福もある。
何かを得るためには、必ず何かを捨てないといけない。
選択しないといけない。
自分にとって、愛する者を含む自分たちにとって、
何が最善の答えか、常に出来る限り早く選択しないといけない。

それでも時々は選ばなかった方の選択肢が、
とても目映く見えるものです。
でも、太地さんはひどく潔い。そこが凄く好きなのです。
寅さん映画で太地さんがヒロインの話も好きだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、本作は新藤兼人監督の作品。
言わずと知れたご存命の大監督です。

新藤監督作品も多数見ましたが、この作品は小品にして佳作。

個人的には
永山則夫事件の『裸の十九歳』
瀬戸内の島を舞台に一切の台詞を廃する『裸の島』
吉村実子の傑作『鬼婆』
等が特に印象の強い監督です。

この映画は『鬼婆』に似ている。
溝口の『雨月物語』とかとも近い、
典型的な、物の怪ものです。


戦の悲惨さは、日本人には古来から
このような形でわかっていたのだな、
とふと思いました。
なにも第二次世界大戦から悲惨さを引き出してこなくてもよい。
もっと前から、みんな戦争の凄惨さはわかっていた。
日本だけではない。
ベルイマンの映画からもわかる。
『処女の泉』『第七の封印』などから。

それが各国によって、
別々の形で伝えられているのだなあと思いました。


正月休みに、どうでしょう。


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海馬浬弧
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自己紹介:
言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
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私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
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