あらゆる事柄に関するレビューログ。
#kaibaricot
1969年。ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ
フランスが誇る3人のフィルム・ノワール俳優の共演。
やはり、ギャバンがいると、それだけで話が出来ます。
ギャバンの前では、ドロンもまだまだ。
リノ・ヴァンチュラも相変わらずいい味出しているし、
Castingはなかなかいい仕事をしています。
しかし、残念なのはストーリー。
脚本は、『シンデレラの罠』などで著名な推理小説家のセバスチャン・ジャプリソ。
こいつが、いただけない。
雑な話を作ってるんですね。
細部を見れば、おかしいなというか、必然性を感じないシーンが多いのですが、
ジャプリソはそれを雄図でごまかそうとする。
それがジャプリソのパターンなんですね。
さて、この映画の壮挙とは、
ボルケーゼ美術館にて行われている、フランスの宝飾展に展示されている、
ヴァンドーム広場にある、通称Grand cinq系の宝石を盗むこと。
映像に映りますが、例えば、Chaumet, Mauboussin, Boucheronなど。
しかし、もちろん、警備はもの凄く厳しい。
それを、大胆きわまりない作戦で強奪する——。
それは成功するのですが、あまりにも小さな事件で、
すべてが気泡へと帰してしまう。
このストーリー展開はよくある展開ですが、細部が雑。
例えば、最後の方で、アラン・ドロン演じるサルテを迎えにいくかなあ、とか。
自分も捕まるのに、彼を単純に私怨で襲うかな〜とか。
こういった類のものでは、『地下室のメロディー』が最も優れています。
やはり、『地下室のメロディー』もギャバンとアラン・ドロン。
監督はヴェルヌイユ。
現代は、面白いフィルム・ノワールが全くありませんが、
それはひとえに、ジャン・ギャバンやアラン・ドロンや、リノのような、
俳優がいないことにあるでしょう。
それは日本におけるヤクザ映画、時代劇映画の衰退と同じだと思います。
いずれも、それに適した、大物的な俳優がいないのが大きな原因です。
小物映画が多い理由、それは小物俳優、
そして小物監督しかいないからだと痛感しています。
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ギリシャの巨匠、テオ・アンゲロプロス監督の作品。
1998年カンヌ映画祭、パルム・ドール受賞。
テオ・アンゲロプロスは、傑作『旅芸人の記録』がある、
ギリシャが生んだ名監督です。
とりわけ、長回し、同一シークエンスでの時制の変化など、
少し複雑で難解な手法を使うのが得意。
特に本作は、現在・過去が長回しのシーン内で、どんどん入れ替わる。
しかし、私的には、その入れ替わりがほとんど活きていないと思います。
そもそも、ギリシャの19世紀の詩人、ソロモスを知っていないと、
よくわからない映画です。
ギリシャの複雑な歴史も知っていないといけない。
つまりこの映画は、日本人である私には、少し退屈でした。
それに、詩人である主人公と少年のふれあい、みたいなのは、
とてもありがちで、安易なテーマとも言える。
それに、説教臭いし、なんていうか、自己満足的な映画です。
わざと、少しわけがわからなく作ってますが、
詩人が探しているものは、実はなんてことないものなのではないかと思うのです。
映像が美しいだけで、それとて、
別に珍しいことではないと思う。
正直言って、そんなに面白くない映画でした。
1972年刊。
講談社文庫で手に入ります。
女性の情念を描くのが上手いと言われている立原正秋。
今では、ほとんど読まれることのない作家の一人です。
なぜか?
それは第一に、立原正秋という作家の位置づけが難しいからなのです。
例えば、川端や大江健三郎、三島、安部公房なんかと比べると、
いわゆる「純文学」臭が少ないように思えるし、
立原と仲の良かった小川国夫と比べても、そんな感じがする。
どこか、立原には、谷崎文学を大衆的にした雰囲気があります。
しかし、渡辺淳一のような馬鹿丸出しの大衆小説とは異なり、
言ってみれば、ある「時代」の中、とりわけ彼が生きていた時代においてしか、
認められないような微妙な良さがあるのです。
似たような小説家に、丹羽文雄を思い出します。
高橋治を思い出します。
この三人に共通すること。
それはいずれも国文学出身者であるということです。
そして、これこそが、今の時代において、
最も読まれ難くさせている一因を成していると思えます。
彼らの文学には、独特の国文学風の滅びの美学があり、
本居宣長的に言うと、『源氏物語玉の小櫛』的な
「もののあはれ」文学なんですね。
それが今から見ると、たぶん当時もそうだったんでしょうが、
少し嫌味に見えてしまう。
三島にも有ると言えば有るんですが、彼は法学部ゆえの、
論理性を持ち合わせている。
谷崎にも有りますが(彼は国文)、彼にはモダニズムがある。
「もののあはれ」とか国文的な女の情念って、
一歩間違えると二時間ドラマになってしまう。
だから、顧みられることの少ない作家となってしまったんでしょうね。
さて、前置きが長くなりましたが、『春のいそぎ』について。
女の情念満開です。
ただし、薄めに。
とはいえ、女・女・男の三姉妹、全員が不倫にいそしんでしまう。
滅亡の道を辿りかけ、そこから抜けだそうとする物語。
舞台は立原文学お得意の鎌倉。
面白いですよ、はっきり言って。
なるほど、少し嫌味な感じはありますが、気になりません。
ある意味すごく、ロマンチストな物語です。
しかし、女姉妹二人が不倫をしてしまう、その道筋は、
(その理由とは書きません。なぜなら、はっきりと一つの理由に還元できないからです。しかもなお、確固たる道筋と言っていいでしょう)
とてももの悲しい。
彼女たちの独白は寂寞としている。
もの悲しいし、真に迫っている。
単にセンチメンタルなだけではない。
本当にもの悲しい小説です。
堪えました。
秋の夜長にどうでしょう。
『竜二』ただ1作で、伝説になった男、金子正次。
映画公開からわずか1週間で急逝されました。
「主役」に尋常じゃない執念を持つ金子正次。
本当にね、いつ見ても、この映画は泣きそうになる。
本当の渾身の一作です。
一般的に言われているように、ヤクザ映画としては、
暴力シーン、戦いシーンを伴わない、ヤクザ映画を変えた映画と言われています。
確かにそういう面も評価すべきですが、『竜二』は非常に内面的な映画なんですね。
知的な映画と言ってもいい。
竜二のキャラクターに体現されているのは、
非常に複雑な、しかも単純な、人間像です。
それがもの凄く魅力的なんですね。
また、ショーケンの曲がベストマッチしてるんだ。
『竜二』を見られたら、ぜひ『竜二FOREVER』にて、
『竜二』が作成されたいきさつも見てみて下さい。
もっと『竜二』については言いたいことがあるんですが、
残念ながら、今回はこの映画に関するレビューではなく、
NHKでやっていた、男前列伝、金子正次についてです。
はっきり言って金子正次を中村獅童が語るって全然違うでしょう。
全く、ふざけてますね。
全然、金子正次の語られなかった一面みたいなのは出てこないし、
映画以外の肉声も聞けるわけでもない。
金子正次のファンとしては、がっかりこの上なしです。
中村獅童とかどうでもいいんです。小物過ぎる。
金子正次と違いすぎる。
出が違う。
何がピンポンだ、ふざけんな、って感じです正直。
ピンポンという漫画自体は嫌いではないですけどね。
金子正次さんの執念は尋常じゃない。
せめて、『竜二FOREVER』をやった、
高橋克典に語って欲しかったな〜と思いました。
日経ウーマン、2011年11月号。特集は人生が変わる手帳術。
色々と、思うところアリ。
働く女性達の手帳事情を特集。
私は手帳を使わない人間です。
なぜ、私が手帳を使わないかというと、
仕事のことを、一切手帳に書きたくないからです。
なぜなら、独りの、仕事から解放されたプライベートな時間に、
仕事のことを考えたくないからなのです。
だから私が、この雑誌にて特集されている手帳を活用する女性達に思うことは、
第一に、彼女たちはある程度自分のやりたい仕事をしており、
その仕事に満足しているということです。
それをひしひしと感じる。
もしも、私自身、私がそれなりに納得して、
やりたい仕事をやれているのであれば、手帳を使い、
何時にどんな仕事があるとか、書くでしょう。
今の私には平日の時間と、休日の時間を一緒に考えられないし、
スケジュール帳で同じページ内に、仕事とプライベートなことを、
絶対一緒に書きたくないのです。
家に持ち帰る手帳に、仕事のことを色々書いて、
家の中でも明日の仕事のこととか、絶対に考えたくない。
もちろん、仕事場では、カレンダーなどを活用して、
色々すべきことをメモしていますが。
私の場合、少なくとも今は、仕事とプライベートは全く別物。
・・・・本当に、みなさん、仕事のことを一杯書いて、
手帳をフル活用されています。
微笑ましいのは体重の下二桁を書いている方もいたり。
私も、せっかくモレスキンの手帳を頂いたので、
来年からは、それでもプライベートなことばっかりを書く手帳にしようと、
触発されました。
しかし、最も唖然としたのは、理想の男性像をノートに書いている方です。
馬鹿みたいに細かく、ああでないといけない、こうでないといけない、
と書いていらっしゃる。
極めつけは「クォン・サンウの悲しき恋歌のときとか」
「私の意見に好意的だが、ときには意見を言ってくれる」など。
どっかのフリーアナウンサーの方みたいですが、
よくもまあ、こんな恥ずかしい手帳を衆目に晒したものです。
重箱の隅をつつかせてもらうと、「育った還境が似ている」(ママ)
環境の漢字、間違えてるしね。
それでまあ、その膨大な条件に合う男性と出会って、
1、2年前に結婚したようですが、申し訳ないけど離婚間違い無し。
私は数多くの離婚を見て来た人間として、断言します。
結婚アドバイザーをしているとは聞いて呆れる。
こんなわけのわからない理想を押しつける人はろくな人じゃありません。
ゾッとしました。
・・・それでも、結構、ためになる手帳の例も色々とあります。
働く女性達の、内面が垣間見られる、興味深い特集でした。
この特集は、とりあえず資料としても保存版として残しておくつもりです。
書くためのね。
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言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
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私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
リンクは才能豊かな知人の方々なので、ぜひ。
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