あらゆる事柄に関するレビューログ。
#kaibaricot
1951年。
漫画の『頭文字D』ではないですよ。
三島の『頭文字』短編です。
今は、新潮の『岬にての物語』という、
あまり読まれていない短編集に収録されています。
なぜこの短編集が、
例えば『花ざかりの森』とかに比べて読まれていないかと言いますと、
のっけから『苧菟と瑪耶』という、若書き過ぎる、
あまりに飛翔した作品が載っているからで、
かくいう私もそこで頓挫しておりました。
何で読んだか、確かこの小説は、三島によれば、
中村光夫か誰かに、-100点をつけられたという。
そして『頭文字』は、またあやふやな記憶で申し訳ありませんが、
確か澁澤の『三島由紀夫おぼえがき』で、
出口裕弘との対談で、これが好きと言っていたと思う。
確かに凄い。
この短編は、三島の力が遺憾なく発揮されております。
緊張感、凝縮感、そしてエロス。
特に好きなのは、
ヒロイン、渥子の脚が炙りたての鶏肉のように火照っていた、
というような描写。(正確に引用していません、手元になくて……)
炙りたての鶏肉とは、
三島の強靱な文体と論理。
これぞ不世出の作家の仕事です。
最初に。
毎回、誤字脱字、変な文章が多いと思いますが、
読んで頂きありがとうございます。
おそらくは同じ記事を一度読まれたら、
もう一度読まれるということはないでしょうが、
いつも反省して、誤字脱字は何度も直していますので、
もし気が向いたら読み直してみて下さい。
1968年、芥川賞受賞作。
私は、この講談社学術文庫で読んだのではなく、
講談社から出ている、前の版の文庫です。
この小説を読んだのは、三回目ですが、三回読んで、
ようやく完全に頭に入りました。
私の持つ文庫版、フランス文学者の平岡篤頼氏の解説によれば、
この芥川賞は激賞され、審査員の口々から賞賛の言葉が溢れたという。
もちろん、いくつかの留保はあった。
永井龍男や三島由紀夫である。
三島は、その多くが会話文で成り立つこの物語を、
「作者が得意になっているのが透けて見え鼻につく」
というような意見を述べたとか。
確かにその通りなのです。
しかし、それほどまでに会話文がうまくいっているのも事実。
この皮肉と皮肉、嫌味と嫌味、憎しみと憎しみ、
虚栄と虚栄の、乾いた応酬はものすごいのです。
しかも、そのいずれもが機知と諧謔に裏打ちされている。
とてもアメリカ的な会話なんですね。
さすがにアメリカで主婦をやっていただけはある。
私は小説が何かしらの映像と結びつくと忘れなくなる傾向にあるのですが、
今回読んでみて、カサヴェテスの『FACES』と結びつきました。
あの主婦達、夫達の、あまりに醜悪な会話とやり取りを思い出した。
アメリカ社会のブルジョワジーを、淡々と、確実に描き切った、
あの傑作と、この話は実によく似ている。
しかし、後半は少し感傷的になる。
それというのも、主人公、
由梨の心象を追うことになるからに他ならない。
私はこの感傷は悪くないと思う。
前半の不毛過ぎる会話といい対比になっているからです。
しかも、感傷すら由梨の中で機能しなくなる。
とにかく、救いはない倦怠、諦念。
別に社会的には貧困に喘ぐとか、物凄く劣悪な状況ではない。
時として、貧困が家族の仲の良さを導くとするなら、
満ち足りた生活が人間関係の破綻を招きもする。
この空虚過ぎる物語、ぜひ読んでみてください。
スペインを代表する監督であることに間違いありません。
73年の処女長編『ミツバチのささやき』が高い評価を得ているので、
そっちから見たかったのですが、近くのレンタルビデオ屋にはなく。
逆に2作目の『エル・スール』があったのでこちらを見ました。
73年『ミツバチのささやき』、82年『エル・スール』とあるように、
実に寡作な監督なんですね。
こんな寡作な人、聞いたことない。
一体その間、なにしてご飯を食べているんだって思う。
たぶん監督は本職じゃないんでしょうね。
現在までに、ちゃんとした長編が3作、短編が2作という、
驚くべき少なさですが、どれもがやたらに高い評価。
確かに、『エル・スール』おもしろいです。
スペイン映画にしては異例の静けさ。
映像は暗闇を特に美しく描くし、ストーリーも詩的。
でも、佳作って感じです。
大作ではない。
野心作でも、問題作でもない。
どちらかというと小品です。
がつんと殴られるような映画ではない。
この映画について、一言だけ言わせてもらうと、
ラストの父親の決断が、どうも納得いかない。
あんな繊細な親父っているのだろうか。
と私は思いました。
ゆっくり落ち着きたい時などにいかがでしょう。
今回より、いつものレビューに戻します。
今年から2〜3年は私の中でSF年と決めているのですが、
60年代後半から、70年代にかけて登場した、
SF界のニュー・ウェーブの旗手ともいえる、ディレイニーの『ノヴァ』について。
本書はディレイニーの最高傑作、SF界の金字塔とも言われている作品です。
以前、ディレイニーの傑作『バベル17』についてちらっと、
このレビューログで触れたことはあります。
1966年にネビュラ賞を受賞した本作は、
謎の宇宙言語『バベル17』に挑むという、
これまでと全く異なる形態のSFを展開し、
私は少なからず影響を受けました。
そして、『ノヴァ』を読んでみて、
やはり彼の言語そのものに対する知識の深さ、
思い入れを強く感じました。
ディレイニーは必ずしも、
とっつきやすいSF小説家ではありません。
まず物理的問題がある。
彼は実は単なるSF小説家ではなく、
かなり雑多な種類の文章、純文学、ミステリー、
評論などを書いている重要な作家なのですが、
そもそも翻訳されていないものが非常に多い。
とりわけ重要な近未来小説『Dhalgren』(1975)などは、
大長編のせいもあってか、いつまでたっても邦訳が出てこない。
また、彼の仕事に対する学術論文の数も少なくありません。
つまり重要な作家として捉えられているということなのですが、
それゆえに、難解なものも結構ある。
『ノヴァ』も読解不可能という評価があったようですが、
なるほど、確かに難解で、私もかなり苦戦しました。
わけがわからないんですね。
特に、わけをわからなくさせているのが、彼の文体です。
プレアデス方言なる、独特の倒置法を縦横無尽に使っているため、
読解が難しく、理解に時間を要します。
つまり、
Where did you find this ? という英語の疑問文を、
Where did you this find ? としているわけ。
こういった英語の通常のグラマーを無視した、動詞と目的語の倒置や、
ほかにもいくつか厄介な倒置があるようで、
翻訳された伊藤典夫さんもかなり苦労された様子。
だって、この疑問文には日本人としては非常に厄介な問題に直面します。
上記の二つの文を、そのまま語の順番通りに訳すと、
どこであなたは見つけたのこれを?
どこであなたはこれを見つけたの?
となり、つまり、英語で不自然であるはずの倒置が、
日本語になると自然になってしまう。
英語はSVOの文型であるのに、日本語はSOVだから、
この倒置は倒置にならないわけです。
そこで、伊藤さんは、
「どこかな見つけたと、これ?」と訳している。
(なんか北九州っぽい方言でしょう?)
実はこんなのはまだ易しい例で、かなり複雑な倒置が原文では起こっており、
特に否定文には相当手を焼いた模様。
私はいくつかの例を本書の末尾に付せられた「小論」で知ったのみで、
原文にはあたっていません。
「小論」と書いた理由は、「解説」にしては長く、
且つ、しっかりと本作が「『ノヴァ』、秩序、神話」
という題名の下、論じられているからです。
以上のような文体のため、日本語としても、
なかなかに読みづらく、いったい何の話をしているのか、
よくわからなくなる。
その上、作者による聖杯伝説とタロットカードに関する、
豊富で深遠な蘊蓄が重なり、難解さに磨きがかかる。
かてて加えて、出てくる未来の世界観や物も、
ディレイニー流の詩的な物が多く、
私の想像力では追いつけない部分もある。
その最たる物が「感覚シリンクス」とかいう、楽器であり武器。
これは本作の中でも一番大切な物なんですが、こいつが一体、
どれほど甘美な三次元を奏でているのか、
わかるようなわからないような。
しかし世界観は、『バベル17』を読んだ身としては、
なんとなくわかる。
興味深いので少し話すと、
アシュトン・クラークなる哲学者が25世紀あたりに登場して、
彼が、パソコンの画面を操り仕事をすることと、
衣食住が乖離しすぎているという、まあ、
ある意味古典的な論を展開するわけです。
農耕や狩猟は、働く=衣食住=生きる、であったが、
パソコンの登場、支配によって、
単にお金のために働くことになってしまい、
労働の意義が希薄になってしまったと。
それだけなら誰でも言ってることの気がするんですが、
アシュトン・クラーク氏のすごいところは、
じゃあ、働く=実のあること、にすればいいと、
なんかソケットとかいうのを、共同開発するんですね。
これにより、みんな、そのソケットを機械に繋ぎ、
機械と一体化し、機械の感覚を取り込み、
働いたという達成感を与えるのに成功。
右足で工場全体のベルトコンベアーとなり、
目で工場全体を見張るというようなもの、らしい。
これはアニメで言えば、だぶん、エヴァンゲリオンの何号機とかが、
乗っているパイロットの思うように動き、痛みなどを感じる、
みたいな考え方でしょうか。
(私はエヴァンゲリオンについてよく知らないので、
間違っていたらすみません・・・)
『ノヴァ』の世界は、つまりはこのソケット社会なわけです。
・・・・とにかく一筋縄ではいかない小説だし、長いので、
そんなにおすすめできるものではないのですが、
スペース・オペラの頂点を極めた、超大作であることには間違いなし。
その独特でこだわりぬいた世界観と、各世界の関連には、
ディレイニーの想像力に脱帽するしかありません。
とてもパワフルなSFです。とても。
ディレイニーは本当にエネルギッシュな作家だと思う。
クラークやアシモフ、ブラッドベリとかディックとは全く異なるタイプです。
想像力がついていかない部分も少なくないのですが、
執念というかそういう勢いもあり、なかなか魅せられます。
SFでは必読書ですので、ぜひ。
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言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
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私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
リンクは才能豊かな知人の方々なので、ぜひ。
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