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あらゆる事柄に関するレビューログ。 #kaibaricot
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千葉は土気にある、2010年11月にオープンしたばかりの美術館。
世界でも珍しい、写実絵画ばかりを集めた美術館です。

今日は少し真面目に書きます。
いつも疲れにかまけて、適当なことを言い散らかしているので。


さて、この美術館に行く前は、
なんていうか、絵を見に行くというより、少しアトラクション的な空間として、
楽しめるかな、という軽い気持ちでおりました。

それに、個人が絵の蒐集を行っている場合、
得てして、悪趣味な成金趣味というか、「印象派好き」みたいな、
金持ち空気が好きじゃなかったのです。
ところが、この美術館はいい意味で絵画というものについて、
考えさせられる、内容、空間共に興味深い美術館でした。

考えさせられる、これにつきます。
所蔵している絵がすばらしい、というのと少し違う。

写実絵画、それも、クールベとかではなく、もっともっと題材的にも、
技術的にも、本当にリアルな絵画ばかりを集めている。

各画家の技術が大変優れているのは明らかです。


さて、まずは空間的なことについてお話しします。

1F、B1F、B2F、という3F構造。
回廊式で細長く、入ったところの1Fは島村信之氏の、
窓と女性をモチーフとした絵が出迎えてくれます



1Fの壁の半分は、窓になっているため、陽光が差し込み、
ちょうど、この絵の人物と同じ空気を吸っているような感覚で、
絵の配置、見せ方が素晴らしい。

それに対し、
B1Fはホキ美術館の主眼でもある、森本草介氏の絵画のみ。
密室感が漂い、絵と一対一にさせられ、より絵の物質感が迫ってきます。



明らかにアングルの影響をうけたような、裸婦が多数。
うなじや、童顔を愛する画家、と私は思います。
背景は一面、くすんだセピア色で統一。

そして、B2F。
ここは一転して暗闇。
絶妙なライティングの下、「私の代表作」のコーナー。
15人の巨匠、中堅の画家による大作ばかり。



各絵画のわきには、画家による自作の説明、制作意図を、
朗読してくれる装置が付いています。


本当に、空間として非常に優れている。
絵の配置が素晴らしい。
よく美術館で思うのだけれど、
ただただ、だだっ広く、天井の高い空間に、
絵を色々かけても、四方をみまわすばかりで、
一つの絵以外の別の絵が視界に入り込み集中できない。
ひどい例を挙げると、広すぎるオルセーやルーブルなど。
エルミタージュなんてうんざりですね。

それに対し、回廊式は、
並木道を歩く感覚(Nicot氏談)で、心地よい。
モロー美術館とか、回廊式ではないけれど、よかったです。

そして、この美術館でもう一つ特筆すべき空間は、
片岡護シェフのイタリアンレストラン「はなう」
ホキ美術館にいらした際は、ぜひともここで昼食をしてほしい。
ただし、現地予約は絶対必要です。
コストパフォーマンスの高い、イタリアンを堪能できます。

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次に写実絵画について。
もちろん、写実絵画と言っても、ホキ美術館が所蔵されているものは、
スーパーリアリズムというか、作品によっては限りなく写真に近い。

そこで考えるのが、第一に、
なぜ画家はこの手法を選択したのか、ということ。

次に考えるのが、写真とこれらの絵画の違いは一体なんなのか、ということです。

第一の問いに対して、
画家自身のテクストの朗読をB2Fで聞いているうちに、
「対象への愛」とか「対象への深い想い」という言葉、
あるいはその言葉をパラフレーズしたものが非常に多いことに気がつきました。

確かに、私は思うのですが、
もしも、対象を心より愛しているのなら、つまりは描く画家が対象に対して、
汝は美しい、と自信をもっているわけだから、
わざわざねじ曲げた表現方法をとる必要はないわけです。
(この心境は私自身、非常によくわかる)

極論すれば、ピカソ的な絵画の女性は、誰でもいい。
泣く女なんて別にモデルを見る必要ない。
表現主義とか抽象絵画とか、言ってみれば、
描く側が、自分の欲望で、対象をねじ曲げている。
ある意味では、その「ねじ曲げ方」を様々な、なんとか主義という。

『美しい諍い女』のあの絵のモデルが、
ベアールである必要なんて全くない。

「内的な迸り」なんて言うのは、体のいい口実というか、
エクスキューズでもあり、アリバイです。

ただし、私はすべての抽象的な絵画を否定しているわけでは、
決してありません。
ただ、対象が綺麗で、対象を好きなら、そのまま残したいと思う、
その単純明快な心理に、はじめて気がつかされました。
それは、純粋な所有欲です。

写真を撮るという行為も、所有欲であると思うのです。
それゆえに、私の場合は、撮りたいものというのが、
非常に限定されています。


第二の問い、写真とこれらの絵画の違いについて。

それは、明らかに質感です。
絵の具、というのは、マルローがマネの絵を論じた、
素晴らしい論文でも語っておりますが、明確な物質なわけで、
絵画は、絵の具をプラスする、プラス芸術なんですよね。
だからこそ、物質の重みがある。

絵の中の女性に触れたくなる。

しかし、写真だと、表面がもっとつるっとしてて、
物質性がそぎ落とされる。
物質性という意味では、写真<絵画となります。

写真は現実をそのまま写しているにも関わらず、
物質性に欠けるからこそ、逆説的に非現実的なものとなり、
どこか洗練されてしまう。

しかし、絵画のリアリスムは、ここまでくると、
ぎこちなく、不器用で、ださいような物質性すらあるのです。

絵画でこういった光景を表現したい気持ちがなんとなくわかる気がします。
写真だともっと軽いんですね。女性が。
そういう意味では、写真家にとって写真に写った女性とは、
コレクションという感じですが、
これらの画家にとっての自作とは、
まるでその女性一人を買い取ったかのような、濃厚な所有感があります。

実際、このような絵を仕上げるためには、
膨大な時間が、モデルとの間に費やされたに違いなく、
それらの時間すべてが、呪いなのか想いなのか、絵に染みこんでいる。

そして、写真よりも、より、対象(ここでは特に女性)との関係性が、
たぶんその対象との「沈黙の」時間経過が長いために、
純粋化するという効果もある。
したがって私には、これらの作品の画家は理想主義的なものを感じます。

写真は対象(女性)が「沈黙」していない時間が多いので、
写真家は理想を対象に投影するのがなかなか難しい。


・・・とまあ、長々と色々書きましたが、
ポストカードコレクターでもある私は、16枚も買ってしまう始末。

幸運なことに、ホキさんにもお会いすることが出来、
今日はあまり混んでもなく、行ってよかったです。

最後に一つ付け加えるなら、監視員がいないことも美点の一つです。

ぜひ、関東にお住まいの方は、行ってみて下さい。


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本日は番外編です。

朝日新聞の質の低さについてです。

私が子供の頃は、
朝日新聞を読めば一番勉強になる的な考えがあったように思うのですが、
久しぶりに朝日新聞を買って読んでみるとそのひどさに驚きました。

まず日経新聞とかと比べ、広告が多すぎる。
先頃、広告収入減に苦しむ新聞社の話を読みましたが、
それにしても無意味な広告のページが多すぎます。

その上、スポーツ欄に6面割いて、テレビ番組の紹介に1面割いている。
かと思えば、手前味噌的な、朝日関係のフォーラムの話題に数面。
記事は記事で内容が薄ぺっらすぎるし、
起こったことの表面を撫でているだけ。
社説は無責任て、特に主張もなく、いい加減。
いいとこなしです。

朝日新聞ってこんなひどかったでしょうか。

読むページがいかんせん少なすぎる。
記事が少なすぎるのです。
なんか、朝日読めば知識人・常識人的な発想が根強くあるけど、
いまはもう全く違いますよ。

朝日新聞、もうダメですね。


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海馬浬弧
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女性
自己紹介:
言語学者、哲学者、文学者、サイバネティック学者である、
海馬浬弧による本、映画、アニメ、音楽、その他、
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私生活については一切書きません。7カ国語堪能。
独断と偏見に充ち満ちているため、不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも現代の歪みの一つだと思って、
どうかお許し下さいませ。
リンクは才能豊かな知人の方々なので、ぜひ。
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